「萩ガラス」の歴史は安政6年(1859年)に始まります。
時は幕末、維新とともに明治へ移り変わろうとする激動の時代に、一人の人物がいました。
彼の名は「中嶋治平」。
長州藩士にして「科学の目」で未来を見据えていた、知られざる巨人です。

萩といえば明治維新の原動力となった吉田松陰をはじめ
その門下生・高杉晋作や桂小五郎を知る人はあっても、
同じく長州藩士でありながら科学者であった中嶋治平の名を知る人は多くありません。
しかしながら彼こそは産業の振興奨励として藩に建白書を提出し、
当時の最先端技術であった蒸気機関を駆使して長州藩に硝子産業を興した
萩の誇る時代の先覚者だったのです。
その後、萩硝子は天皇家・公家に献上するにまでその質を向上させ
一時隆盛の時代を築きますが、激動の世にまみえわずか数年でついえます。
そして彼の死後再建されることなく、
ついには幻の萩ガラスとして永く忘れられていました。
